術後1年が経って 想うこと。

5/19/23

特別な日





昨日は 真夏の暑さだったのに 今朝は 雨模様。

連日の30度越えに 草花も ぐったりしていたので ほどよく湿った風は ありがたい。もちろん わたしも ほっと ひと息つけますよ。仕事オフの日は すでに まったり気分です。

さて きょうは わたしにとって 特別な日なのです。


ちょうど1年前の5月19日。肺の手術を受けたのでした。

前年 たまたま 見つかってしまった 肺の陰影。半年ほど 経過観察したものの その影があまりに微小で 何ものとも判断がつかない。したがって 組織検査もままならず。

ならば その部分だけ とっちゃおうか。そうして よ~く 調べてみよう。そうすれば 影の正体がわかるはず。

Drチームによる 診断的治療を受けることになり 胸腔鏡による手術に至ったというわけ。


手術は 実に 久しぶりでした。と いうのは 46歳の時 乳がんの手術経験あり。

その時 何が辛かったかというと 術後 数時間はトイレに行けなかったこと(尿管による排出)。手術というものが 初体験だったから あの時の不快感は 今でも忘れられない。

もう絶対 手術なんて嫌だ。二度と 御免よ。

ず~っと そう思っていたのですが 肺の陰影が 怪しいもののようだということがわかった瞬間 手術を受けるんだろうなと直感しました。そうして すんなり 手術をすることに同意したのです。

やっぱり いのちを救ってもらいたい。巣くっている病があるなら 取り除いてもらいたかった。

入院期間は 4泊5日。

辛かったことは 全身麻酔による副作用でした。それは 吐き気。あれは しんどかった。時間とともに消えてくれたけど 今もよみがえります。ガーグルベイスンを口に当て ぐだ~っと横たわっていた 自分の姿。

そのあたりのことは 旧ブログ【ひとりの四季日誌】に綴りました。読者の方には 入院前も退院後も わたしの想いを共有していただきましたね。今も 感謝しております。  

さて 退院後 しばらくしてから伝えられた 病理検査の結果は ネガティブなものでした。悪性の腫瘍だったということ。

ただし レベルは 初期段階。とりあえず 他の臓器への転移はないだろうとのこと。それをきいて「はやく見つかって よかったよ~」というポジティブな想いが 湧いてきました。

偶然 発見されたからいいようなものの そのまま放置されていたとしたら もっと深刻な状態に進行していったでしょう。とにかく 無症状だったので 自分では気づきようがありません。


それにしても 自分のカラダが 二度も 手術を受けることになるなんて。

二度あることは 三度ある?キャーッ。やめて~。そんなおぞましいこと 考えたくないけれど 何が待っているのか わからないのが 人生。

万が一 何らかの病やケガで 手術するような事態になるとするなら それに耐えられるようなカラダづくりが 必要になるのかも。

術前に 栄養状態や運動能力など 細かくチェックされたんですよ。それこそ 握力まで測ったの。廊下を速足で数往復して 肺の機能を見たり 片足立ちで何分いられるかなどもやりました。肺の手術だったからということもあろうけど 手術を受ける人の体力の部分を把握したかったのでしょう。

あの時以来 もしやの手術や治療に耐えられるように ふだんから 食べるものとか運動とか ちゃんとやろう。そんな想いが アタマのどこかにあるんです。

とはいえ 老化の一途をたどっているわけなので 頑強なカラダなんか作ろうとしても 無理ですよ。まぁ そんなカラダなら 病気になんてかからない?!

それでも あきらめず 少なくとも 今の体力を現状維持できるように 心身のメンテナンスを怠らないようにしたい。栄養のあるものをバランスよく食べて ほどほどに運動して ちゃ~んと眠る。日々 そのようにしなければと思っているのです。 



あれから 1年。どんどこ 月日が流れ こうして ブログを書いていられるなんて ほんとうに ありがたいこと。

術後の後遺症もなく ふだん通りに暮らせていることに あらためて 感謝です。

今月末には 定期的な検査があるので それは ちょっと気がかりだけど 避けては通れない。また 何かがあれば その都度 対処していくしかありません。

自分のカラダと向き合って いのちを大事に生きていく。この人生が終わる時まで ずっとつづく ヒトとしての 大きな課題。試練でもあり 喜びでもある。そんな感じもいたします。

俵万智さんの短歌をまねて 一首。


我ながら よく頑張ったと思うから 5月19日は 手術記念日


はい おそまつさまでした。


こころにバラの花を


お訪ね下さって ありがとうございます💗
   


     ✎ おり~ぶ

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