なじみの場所を 大事にする。

5/21/23

ご縁 暮らしのあれこれ




音のない静かな部屋にいると 小鳥のさえずりがきこえてくる。ブログを書く時は TVやラジオ ましてや 音楽もかけません。どんなに好きな曲でも 気が散って 記事に集中できなくなるの。

小鳥の声は 大丈夫。遠くにきこえるし やがて 耳に入らなくなる。PCのキーボードに触れる指の音と息づかいだけが わたしの鳴らす音。自分以外に誰もいない。この空間は 他にかえがたい わたしだけのもの。

たったひとりの 価値ある時間です。

38歳で夫と死別。さめざめと ひとりびとになってから 30年。ず~っと ひとり暮らし。といっても 約2年間は 母と暮らして ふたり暮らし。母亡きあとは また ひとり。もう すっかり 孤独とお友達。ひとりの時間が 大好きです。

とはいえ 時々は 人のいるところに出かけます。

働かなくちゃと仕事の場。買い物のため 不特定多数の場。趣味の教室など 自ら求めた場など。


ひとりもの&ひとり暮らしのわたしにとって 今後ますます 必要になってくるのは 意識的に 人のいるところに出かけていくことかな。

仕事だろうが 買い物だろうが 趣味だろうが そこに行けば 人がいる。といっても仕事は そのうちリタイアするだろうから 仕事以外の そういった場に出ていくことが ますます大事になってくるような気がします。

そうじゃないと 何日も 誰ともしゃべらないなんてことが起こってくるでしょう。

認知機能も 衰えるかもしれない。気ままなひとり時間を満喫しているうちに いつしか 老化の坂を転げ落ちていき ぽつんとたたずむ まったくもって 孤立した高齢者。そうでありたくはない。
  
先日ご紹介したメールマガジンの中で 鎌田 實医師が このようにも おっしゃっています。

歳をとって大切なのは キョウイク(今日 行く)ところと キョウヨウ(今日の 用事)です。一人暮らしでも 行きつけのお店の店員さんと挨拶を交わしたり 犬の散歩をしながら 通学路の子ども達を見守るなど 社会と接点があることが大事なのです。


ちなみに 「キョウイクとキョウヨウ」というフレーズが気に入ってしまったの。

朝 目覚めるころは 「あれっ きょうって 何曜日だっけ?仕事に行く日?ブログアップする日? 」など アタマ ぼんやりしています。そこに 「キョウイク キョウヨウ」という言葉を唱えると なんか しゃきっとするんです。

もちろん その日いちにち どこにも出かけないときもあるけど たいがいは 買い物の用事などもあったりして どこかには行き 誰かと言葉を交わしたりする。自分の巣を出て 世間の空気を吸ってから また 巣に戻り ひとり時間を過ごします。


そうやって出かけていく先が なじみの場所なら さらによいでしょうね。

長くなじんだ 行きつけの場所。そこには くつろげる空間があって 会いたい人がいてくれる。気楽に話ができて こころが和みますよ。わたしの場合は 近くのカフェだったり 雑貨屋だったり。


昨日行った 美容室も なじみの場所です。それこそ 長いおつきあい。ひとりになって 郷里に戻ってから ずっと通い続けているところ。

基本的には 店主夫婦と客という関係。ほどよく 距離がある。そこに 30年近く積み重ねてきた時間が横たわっているので なかなかに味わいのあるつながりを感じています。

出会った時 彼らは20代後半 わたしは 30代後半。当時は ビルの一室にあった美容室も 現在は 小庭のある一軒家(ご自宅は 別にある)に変わりました。

ゆっくりゆっくり 育ってきた 彼らとわたしの関係性。育てようともくろんだわけではない。たまたま 入った美容室でした。長く通ううちに 自然になじみ 無理のない距離感で 親しくなってきたように思います。

ちょうど バラが咲いている頃。カメラをもって 予約の30分前に到着し 花フォトを撮らせてもらいました。きょうのフォトは その時のものです。

美容室から去る時のこと。奥さんのミカさんが 丹精込めてかわいがっているバラを 惜しげもなく切って 水を入れた紙コップごと 手渡してくれました。そんな気もちがうれしくて。歳を重ねるごとに ひとの情けが身に沁みます。

さっそく 部屋に飾りました。



さて きょう 行くとこ きょうの 用事。キョウイク & キョウヨウ。


まずは ブログをアップしてから

トットコ トットコ 用事を済ませます。


どうぞ よき日をお過ごしくださいね(^^)/




お訪ね下さって ありがとうございます💗
   


     ✎ おり~ぶ

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