遺影写真は こころのよりどころ。

6/22/23

ウイズ エイジング 雑感




ガクアジサイの花は ガク(装飾花)に囲まれた 小さなつぼみのような部分。真花と呼ばれるそうです。ガクを花びらだと思ってしまうのは 自然なこと。真花より ぐっと大きく華やかだもの。目が奪われますよ。

まずは 装飾花が咲き ついで 真花が ほころび始める。この頃 次々と 開花しています。


さて 今日の話題は 『遺影写真』のこと。

いよいよ 終活に入ったの?

と いうわけではありません。エンディングノートだけは準備したけど 少ししか手をつけずにいます。そろそろ 考えておかなくちゃと思いながら ついつい 後回し。


この記事を書くきっかけは 友達:カヨちゃん(高校同級生 & がんサバイバー)。


先月末に電話でおしゃべりして以来 ちょっとご無沙汰していたので どうしているかなと連絡したら 「実はね」という話あり。

       ***

今月初めに お義母さま(96歳)が亡くなられたとのこと。

コロナ禍前から 施設に入居されていたのは 知っていました。コロナ禍になってからは 面会もできずにいたのだけれど 最近になって 面会できるようになり 何度か通ったらしい。

ご高齢なだけに だいぶ弱られていたようです。でも 娘さんの幼子たち(ひ孫)を連れていくと 目をしっかり開けて 一言二言 話をするなどの場面もあったとのこと。幾度か 自宅に連れて帰り 庭の花を見せたり 親戚を呼んで 会ってもらったりしたそうです。

そうこうしているうちに 思いのほか早く 旅立たれた。

義両親さま(お義父さまは 数年前他界された)と同居していたカヨちゃんは ご葬儀の準備やら 何やらで大忙しだった。

その時 最も 頭を悩ませたのが お義母さまの遺影のことだったそうなの。

数冊のアルバムには 若いころの写真がたくさんあったけれど 最近の写真は あまりない。数年間 施設で暮らしていたし それ以前に 遺影を準備するなどの終活をしていたわけではない。

様々な写真。50代の頃は 職場で。60代の頃は 旅行先で。70代の頃は 友達と。80代の頃は孫たちと。いろいろあるにはあるが なんとなく 遺影としては使えないなぁ。

逡巡するうち カヨちゃんは 思い出した。

入居していた施設の部屋。入口に お義母さまの顔写真が飾られていたことを。

それは 施設内で撮られた写真。介護スタッフのカメラに 満面の笑みを浮かべている。ごくごく 最近のものだし 「家では見せないような笑顔だわ」と 彼女には 感じられたそうな。

お義母さまは 跡取り娘。お婿さんを迎え 3人の子を育てた。職業人である時も リタイアしてからも いつでも きりっとしているお姑さん。カヨちゃんには そう見えていたから 施設での写真に写った表情が とびきり新鮮に思われたのでしょう。

「この写真を 遺影にしよう」と カヨちゃんは決めます。

それにしては お義母さまの洋服が あまりに普段着なので 和服にしようとか ステキな胸元の洋服にしようとか 写真の合成も 葬儀屋さんにお願いしたらしい。でも 結局 普段着のままのお写真にしたそうです。それが 一番 自然だったと。

ところが 遺影が出来上がってからも また悩んだという カヨちゃん。

「お義母さん 若々しかったころの写真のほうがいいのにって 思うかなぁ」と。

       ***

さて この話をきいたわたしは 翌日 カヨちゃん宅を訪問しました。遅ればせながら お線香をあげさせてくださいませ。

祭壇には もちろん お義母さまのご遺影が 飾られていましたよ。

ふっくらしたお顔が ほんわか微笑んでいる。「今をたのしんでいますよ」と言っているような表情の おばあちゃん。

「いいお写真ねぇ」と言ったら 「それならいいんだけど。今になっても 若いころの写真のほうがよかったかなぁって思ったりするのよ」と。

この期に及んでも まだ そんなこと思ってるの。まぁ カヨちゃんらしいけど。

祭壇の横には ご葬儀で飾ったというボードが立ててありました。それこそ 若いころの きれいで はつらつとしたお義母さまのお姿が 何枚も貼ってある。

カヨちゃんは 嫁いでからずっと この方とも暮らしてきたんだなぁ。長い時間を共にして こうして ちゃんと見送ることができたんだ。

「肩の荷が ちょっとだけ下りた感じ?」ときいてみたら 「お義母さんは 一生懸命 この家を支えてくれてたんだなぁって つくづく思うの。今度は 自分が ここを守っていかなきゃね」と 涙ぐんだ。お嫁さんとしての彼女にも 敬服です。

一度もお会いしたことのなかった カヨちゃんのお義母さま。わたしのこころには ご遺影のお顔こそが ずっと 残り続けます。

だとすると やっぱり 遺影って大事ですね。

この記事を書く前 葬儀屋さんのサイトで 遺影について 読んでみたら 

極端に若いころよりは 最近の写真であることに越したことはない
硬い表情よりは 自然な表情
目が合うような カメラ目線の写り方
その人らしい表情

と いうことが 書かれていました。

ちなみに 母の遺影は わたしが撮った写真です。。

この家で同居していたころ ふと思い立ち カメラを構えた その時のもの。遺影を意識したわけではなかったわ。母のご機嫌な表情を撮っておきたかった。デイサービスに出かける前 ちょっとおしゃれして ソファに座っている。デイの日が 楽しみだった母。

遺影は 今も わたしの こころのよりどころになっている。

たとえ その写真をみなくても すっかり こころのなかに収められている 母の 笑顔の写真です。


ところで 

わたしの遺影は どうなる? どうする?


あぁ 終活って 差し迫らないと なかなか 始まれない。

でも 差し迫ったら 始まれない。


まぁ そろそろ おいおい 考えてまいりましょう。





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      おり~ぶ


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