老女3人 かしましい。

7/10/23

ご縁 雑感

ギボウシ

 老女3人 偶然の集い。


義姉宅を訪問したら 先客あり。

以前 ご近所に住んでいて 今でも 親しくしているヨーコさん。転居先は 2~3kmの距離なので 月に一度 長兄の月命日に お参りしてくださるの。

彼女は わたしとも顔なじみ。「お久しぶりです。お元気そう」と 声を掛け合います。

毎月 同じような頃に 義姉を訪ねてはいても 全く同じ時間帯に顔を合わせるということは あまりない。日にちがずれていたり 午前だったり 午後だったり。

だから 「お久しぶり」なのです。


義姉:トモコさん(74歳) ヨーコさん(66歳) わたし( 68歳)

老女3人 何 話す?

ヨーコさんが トモコさんにプレゼントした花束が 仏間のテーブルに飾ってあります。

先日 74歳のお誕生日だったから その お祝い。すごく 喜んでいました。

わたしは LINEで ㊗メッセージを送っただけ。まぁ そんなものです。義妹としては まったく気張りません。

さて その花束がきっかけで 花の話になりました。

ヨーコさんは 最近 市民センターで 生け花を習うようになったとのこと。小原流とアレンジメント。これが けっこう たのしいらしい。

トモコさんは 若いころ 小原流でお稽古していたことがあるので 話が盛り上がる。

わたしは 習ったことがないけど 花が好きだから 興味津々。花束の写真 撮らせてもらいました。

トモコさんがいただいた花束

彼女たちがご近所づきあいしていた頃のこと 野菜のこと 猛暑のことなど 次々と 話題は変わるよ おんなのおしゃべり。

わたしが話したのは 「食パンを手作りするようになったこと」「日帰り温泉に行ったこと」。*手作りといっても 作るのは ホームベーカリー(>_<)

食パンの話から トモコさんが想起したのは 子ども達が小さかった頃 パンを焼いたり ケーキを作ったりしていたこと。なつかしそうに話していました。

当時は 義姉とそれほど親しくなかったし わたしは 遠く離れた婚家で暮らしていたから 長兄家族の暮らしぶりは よく知らないでいたの。だから 思い出話は とても新鮮な感じ。

日帰り温泉の話は ふたりとも 「へぇ~」とびっくり。「ひとりで行ったの?」ときくから 「いつも そうだよ」と言ったら また 「へぇ~」。家族や友達といくもんでしょみたいな感覚が あったのでしょうね。まぁ わたしだって 同居人でもいたら そりゃあ ふたりで行きたいよ。


老女3人 どの人も ひとりびと。

お菓子をつまみながら わいわいとかしましかった わたしたち。共通点が あるのです。

それは 3人とも 未亡人だってこと。

ヨーコさんは 4年か5年?  トモコさんは 約25年 わたしは 約30年  ひとりびと。

ヨーコさんは この頃 やっと元気になってきたような気がします。表情が 以前に比べて 明るくなったような印象。

わたしなんて 5年ぐらいは ことあるごとに 思い出されて 泣いていた。それが今や 

ひとりびとのベテランです。この頃 涙もろいのは 歳のせい。

しゃべくりの途中で トモコさんが「あらま 全員 ひとりものだわ」というから 「ほんとだねぇ」と 顔を見合わせた。 

「おとうさんが生きててくれたら 今年は 金婚式だったのよ。それなのに ひとりでさっさと逝っちゃって。こんなはずじゃなかったけど 仕方ないよね。どうせ やがては どっちかが ひとりになる。人よりはやく そうなっちゃっただけ。せいぜい おとうさんに見守ってもらわなくちゃ」

そのように話す声は けっして 湿っぽくありません。むしろ からっとして 頼もしくさえ 感じられました。

ヨーコさんは 「うん うん」というように うなづいている。

大切な人を失った悲しみは 決して 消えることはありません。それに 無理に消そうとすることもないのです。思う存分 悲しむこと。

長い悲嘆の道のりを経て やがて 再び 自分の人生を生きていけるようになる。わたしもそうだったし トモコさんもそうだった。ヨーコさんも きっと・・・。


偶然にも ひとりびとが3人。これも ご縁というものでしょう。様々な事情は異なるにしろ お互いの心もようを どこか分かり合えるような安心感が そこにある。そういうつながりが とっても大事だなって このごろ とみに想います。

他愛のないおしゃべり。そして 分かち合える想い。

そのあとは また ひとりの自分にかえっていく。


ひとよりはやく そうなっちゃっただけ。これからも ひとりびとを 生きていく。



お訪ね下さって ありがとう💗

      おり~ぶ

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