宝の持ちぐされ

7/24/23

好きなこと 雑感

 

我が家の周囲には こんな風景が広がっています。樹々の濃い緑と対比して 水田の黄緑が映えますね。

日曜の朝は のんびりモード。ラジオ英会話はお休みなので TV体操直後に出かけました。

ウォーキングというよりは ぶらぶら歩き。「らんまん」もないし ブログも更新しない。時間を気にせず のんびりと 日光浴散歩しながら 写真を撮ってこよう。

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カメラには 55~250mmの望遠レンズをつけました。

そのレンズは カメラを購入した時についてきた ダブルズームキット(標準的なズームレンズ&望遠レンズ)のひとつ。

ちなみに ふだん使っているのは あとから購入した 60mmのマクロレンズと40mmのパンケーキレンズです。

遠くの風景を撮るとしたら 満月の時だけ その望遠レンズを使っていました。

ある時 花を 少し離れた所から撮ってみたことがあって その時 気づいたの。望遠レンズでも 花が撮れるんだって。そりゃ そうでしょ。撮ろうと思えば なんだって それなりに撮れるはず。ただ やってみなかっただけ。

花といえば ぐ~んと接近して アップで撮るしか能がなかったけど マクロレンズにはない撮れ方に気づいてからは たまに 望遠レンズも使うようになりました。

カラダが近づけない ちょっと遠くの花も撮れるんだ。そんなあたりまえのこと 今頃気づくなんて。まぁ わたしらしいといえば そうなんです。お恥ずかしいけど そんなレベル・・・。

こういう時 【宝の持ちぐされ】って いうんじゃないかしら。役に立つものをもっていながら 使用せずに放っておくこと。

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さて 望遠レンズで撮った 草むらの風景。


雑草が 朝陽をあびて うれしそう。

牧野富太郎博士いわく 「雑草という草は ない」。

あとで名前を調べたら 「エノコログサ」。わたしは これまで「猫じゃらし」と呼んでいました。本名は エノコログサ。ただの雑草じゃない。エノコログサ。

と その時

あれっ?

思わず 声が出た。

目に留まったのは これ。


セミの抜け殻!! 

草を踏んで近づいたら また ブヨに刺されるかも。茂みの奥まで分け入らずに シャッターを押せるなんて 感激だわ。

それにしても セミは エノコログサにつかまって 踏ん張ったのね。

木の枝にくっついている抜け殻を見たことはあったけど エノコログサは 初めて。

頼りなげな草の穂につかまったセミは なにを想ったろう。といったって 幼虫が土の中から這い出て のぼっていった先が そこだったというだけ。たぶん エノコログサの根っこを食べながら 成長したのでしょうね。

エノコログサは ナヨッとうなだれながら セミの羽化を支えたのだもの。そこには やっぱり 命のドラマがある。自然を生きるもの同士の 支えあい♪

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卵から幼虫になり そのまま 土の中で 数年間を生きるといわれているセミ。やっと羽化する時期になって エノコログサをのぼったのね。

羽化までの時間は 20~30分程度だって。やっと成虫になり 飛んだり 鳴いたりするわけですが そうしていられるのは 一週間ぐらい。なかには 1ケ月ぐらい生きるセミもいるらしいけど 地上に出てきてからの命が なんと 短いことでしょう。

成虫になったら 次のミッションは 卵を産むこと。それが終わると セミは旅立っていくのです。

そのはかなさを想うと セミの鳴き声がうるさいなんて言っちゃかわいそうっていう気になります。でも やたら炎天下の ジージー音は ほんに騒々しくて 暑苦しい。近くに林があるので 今もさかんに鳴いています。

ちなみに セミの鳴き声で好きなのは カナカナカナ。哀愁を帯びた あの切ない感じがいいだなんて 勝手なことを言っては セミに失礼ね。

セミは その寿命を懸命に生き抜いていく。わたしも まったく そうでありたい。同じ生き物として 学べる姿が そこにあるような気がするなぁ。

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とにかく 望遠レンズを使うことで 撮るたのしさが増しています。もう宝の持ちぐされにはしません。

新しいレンズが欲しいなぁ。ちょっと前は そんなふうに思ってたけど もってのほか。

手元にあって使える物を 十二分に生かすこと。レンズだけじゃなく 他のモノも然り。宝の持ちぐされにならないように どんどん 使う。 

お宝は 家の中にも そして 自分の内にも・・・。

惜しみなく使って その価値を最大限に生かしたい。


きょうも おつきあい下さって ありがとう(*^^*)

熱中症に 気をつけましょうね🍀


稲穂

お訪ね下さって ありがとう💗

ぽちっとにも 感謝です。

おり~ぶ

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