88歳 パワー全開の人に会って

4/09/24

ご縁 雑感

桜 花言葉は 精神の美

おはようございます。

今朝は 暴風雨。桜の花びらが 散り急いでしまわないかと気になっています。

さて

庭に出てしゃがみこみ 花の写真を撮っている時のこと。

「オクサーン」と しゃがれた声がする。

わたしをそう呼ぶのは もしや あの人か。そう想って振り向くと 車に乗ったまま ニコニコしていたのは 高齢の男性でした。

彼は 我が家を建てた工務店の社長さん。といっても 現在は 社長さんではないらしく 息子さんが跡を継いでいる。にもかかわらず 引退はせず 不動産業の名残もあって 土地売買の仲介などをしている様子。

2022年のブログにも登場しています。よれよれの背広を着て 少々 がらっぱち。社長然としていない雰囲気がわかっていただけるかも。




ところで

彼が車を停めて わたしに声をかけたのは 用事があったわけではない。久しぶりに姿を見たので 挨拶をしてくれたのでしょう。

フェンス越しに ちょっとおしゃべり。

「お元気で何よりです」という わたしの言葉に 「この通り 元気だよ~。きょうは 東京から来たお客さんに土地を見せてきた。ふだんも 毎日100キロ以上 走ってる。日帰り温泉に行ってんですよ」と 滑舌なめらかに 大きな声。

往復100キロなら 片道50キロ。県北の山あいには 日帰り湯がいくつかある。そのあたりに出かけているんだな。

瞬時に頭を巡らせながら 社長さんの年齢をきくと 「88歳!!」と さらに歯切れよく。

なんというあっぱれなご老人。「ますますお元気でいらしてください」と 走り去る車に 頭を下げました。

ふりかえれば 2003年。乳がん術後2年が経過し 再発の不安におびえながらも 心理の仕事に就いていた。そういえば 父の33回忌も その年でした。

3月頃 突然 土地と家を持ちたくなって 不動産屋に駆け込んだ。そこにいたのが 社長さん。

乳がんはリンパ節に転移があって 5年生存率は わたしの場合 かなり低かったんです。

「3ケ月でも半年でもいいから 自分の家で暮らしたい」という願いをもち それを実現することで 再発や死の不安から逃れていたような気がします。

当時住んでいたアパートから どの方角に引っ越せば 悪いことが起きないか。そんなことにもこだわって 「九紫火星」の人の吉方を調べ 西の方位に狙いを定めたの。

社長さんに 「西の方角に土地を求めたい」と告げたら 「どこからどこまでの範囲なのか 地図に線を引いてきて」という返事。線で囲んだ市内の地図を持参したら 枠内にある様々な土地を見るために 連れ歩いてくれました。

そのようにして決めたのが 今住んでいるところ。 

家を建てる時も わたしの描いた間取りのまま。ローコスト住宅は 短い期間でできあがりました。




あれから 20余年が過ぎ 社長さんは 生涯 現役って感じです。

わたしの家づくりに尽力して下さったという意味では 恩のある方といえるでしょう。

我が家は 2011年の震災で傷んだところがあり 古びてきてもいるけれど 一年一年 味わい深い住処になりました。



久しぶりに社長さんに会って 想ったこと。

まずは 彼の 衰えないパワーに敬服。不動産の仕事に 今も夢中になっていらっしゃる。仕事であれ 何であれ 生きがいをもつ人の輝くような笑顔に 背筋の伸びた感じがしています。

そして 次に想ったこと。

「3ケ月でも半年でもいいから 自分の家に住みたい」と 家づくりを決めた あの時の自分は まだ わたしの内にいるだろうかということ。

これまでの人生で ある意味 無謀ともいえるようなことにアクションを起こしてきた自分。安定した職業からの離脱や転職。家づくりもまた そうだったかもしれない。結果としてよい展開になったと思えるけれど もしかしたら ちょっとのはずみで 後悔するようなことになっていたかもしれません。

後先を考えず 突っ走ってしまうようなところ。考えるより先に行動してしまうようなところ。

そんなところも自分にはあって それがまた わたしらしいところという自負もある。その自分らしさを これからの人生で発揮することはあるのだろうか。

老いていく身でありながら 己の未来をどう創っていくかというようなことを考えるようになりました。

88歳の恩人に 「オクサンも がんばれよ」と 背中を押されたかな。

これからも 自分らしい部分を 思う存分発揮していく。

想うように生きて たとえ 結果がどうであったとしても たぶん 悔いはないでしょう。


No.165



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