こころの垢を落とすとき

5/16/24

ソロ活 心身のメンテナンス

ギボウシの葉 花言葉は 沈黙

なんか疲れちゃったなぁ。

そんなひとことをつぶやいてしまうこと ありませんか?

おおむね カラダの疲れというよりは こころがお疲れモードになっている。

とはいえ 心身一如といいますから こころの疲れで カラダも疲れる。カラダの疲れで こころも疲れる。

まぁ もとはといえば わたしの脳が疲れている。

最近 いろんなことを いろんなふうに考えすぎて 同じところを堂々巡り。まるっきり負のスパイラルに陥っていました。

健康状態のこととか 人間関係のこととか 将来のこととか。今考えなくてもいいような不安材料を おもいっきりかき集めてきては ギュッと握りしめていたような気がします。

対人援助の仕事に就いて 他者への心理的支援などしていても 自分のこととなると 冷静さを欠きますよ。情けないほどに いろんな感情に翻弄されることがある。まっこと こころというものは やっかいなものでございます。

それにしても このままじゃいけないわ。グダグダ イジイジとしているなんて。そんなことで 尊いいちにちを無駄づかいしたくない。


きのうは 日帰り湯へ Go   Go  Go 🚙

行先は 近場の温泉施設。10数年ぶりに そこに行こう。

母の存命中は 何度か行ったことがあるの。母を助手席に乗せて走った なつかしい道を行く。

里山の新緑が 眼に眩しい。クネクネした山道を登っていくと 視界が開けます。


プールやフィトネスジムには目もくれず まっしぐらに向かったのは もちろん お風呂。
単純温泉で 疲労回復などの効能があるらしい。

目指せ 女湯あたりまえ。

平日だったせいか 意外なほどに 混んでいない。数人のシニアさん達だけでした。

ちなみに 入浴する時は眼鏡をはずすので 裸眼視力は落ちるのだけど 以前にも増して見えづらくなったのを感じました。湯気のせいだけじゃなく 人の顔がはっきり見えなかったような。

まぁ 見る必要もないのだし 自分の足元がよく見えればそれでいいか。

そんなことを想いながら 湯につかる。

足を伸ばし 背中を平らにしたまま 首まで湯につかれるって こんなに気もちいいのねぇ。それというのも 我が家のユニットバスは小さいから 湯船で寝そべれないんです。 

素っ裸で 思い切りカラダを伸ばしている。そうして あったかいお湯のなかに浮いている。まさに 極楽~。

もうそれだけで カラダの疲れがとれた感じ。同時に 気もちがほぐれてまいります。

波立っていたこころの水面が ゆっくりと静まってくる。

これまで思いあぐねてきたこと 踏ん切りがつかなかったこと。それらのかたまりが 自分から離れていくような感覚。

「水に流す」という言葉があるけど それになぞらえると 「お湯に流す」?

クドクドと考えすぎていたことは もはや過去として きれいさっぱり お湯に流した感じがしました。

ちなみに この頃 仏教に関する本も読むようになっていて 「三毒」という言葉を覚えました。

人間には 貪(とん)瞋(しん)痴(ち)という 三つの毒があるという。欲や執着 怒り 無知や誤解など。

「三毒」は 人が煩悩にとらわれ 苦しみを経験する主要な原因となるらしい。

わたしが最近とらわれていた 堂々巡りの原因も「三毒」だったかもしれない。つまり 自分の内にある毒で 自分が苦しんでいたんだということ。そのことに 気づけただけでもよしとしよう。

苦しみから解き放たれるには その毒を手放せばいいのでしょうね。

でも それができないから 苦しむのよ 凡人であるわたしは・・・。





露天風呂にもつかっていたら なおさら気もちがすっきりしてきました。

青空の下に 鮮やかな 樹々の緑 五月の風が あまりにさわやかで 身もこころも洗われる感じです。

まさしく 命の洗濯

とはいえ 「三毒」は わたしの内から すっかりなくなったわけではありません。一生かけても なくならないでしょう。それぐらい 手ごわいものであることは間違いない。

三毒退治は たやすくないでしょうが

温泉につかり 心身がリフレッシュしたことで こころにペタッとはりついていた垢のようなものは落ちたような気がします。

こころが垢じみてきたなと感じたら また 温泉のお湯に流すことにしよう。

No.177

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