まだまだ 伸びしろ あるかもね。

6/10/24

ウイズ エイジング 雑感

      

おはようございます。

つぼみだったころの ガクアジサイです。花言葉は 謙虚

今は 咲き始めて こんなふう。


アジサイが似合う季節になりました。関東地方も そろそろ梅雨入りかな。

さて きのうは ひさしぶりの人たちと会いました。ちょっとした刺激を受けたので そのことを書きますね。

年に3~4回 心理職の仲間と集まっています。メンバーは 9人(40代~70代の男女)。おおむね仕事に関する情報共有や事例検討などを行っています。

今回の話題提供者は 50代の男性です。以前 能楽の師匠に「謡(うたい)」を習っていたことがあったらしく 能の世界の魅力や歴史的な背景などを話してくれました。

能における「ワキ」の役割が 心理臨床におけるセラピストのそれに通じるものがあるとの見解をきき チャンスがあれば 能を鑑賞したいなという興味が湧きました。なにせ一度も観たことがないのです。

ところで 話の途中 「初心忘るべからず」という言葉が出てきました。耳になじんだフレーズです。もともとは 室町時代に生きた能楽師:世阿弥が 著作の中で書いたものだそう。

初心忘るべからず。

一般的には 「最初に思い立ったときの純粋な気もちや志を忘れないようにしよう。謙虚さを忘れてはならない」というような意味で使うことが多いでしょう。わたしも そのように理解していました。

でも 世阿弥の意図した「初心忘るべからず」の意味とは異なるらしい。


会合のなかで ひととおりの説明はきいたうえで 帰宅してから 調べたくなりました。

「初心忘るべからず」の本来の意味とは・・・


著作にあたる余裕はないので とりあえず ネット検索したところ 多くのサイトに記述がありました。

それによると

世阿弥は『花鏡』という能楽の理論書において 3つの初心について書いているそうです。

是非初心を忘るべからず ⇒まだ未熟だったころの芸を忘れず 成長した今の実力を正しく認識し向上させることが大切だ。

時々の初心を忘るべからず ⇒その年齢にふさわしい芸に挑むということは その段階においては初心者であり 未熟さやつたなさがある。いくつになっても 自分にはまだ学べることがあると受け入れることが大切だ。

老後の初心を忘るべからず ⇒老年期になっても初めておこなう芸というものがあり そこにも初心がある。歳をとったから完成ということはなく 一生涯学び続けることが大切だ。

①~③の「初心」について知り 「なるほどなぁ」と 感嘆しきり。

「初心」とは 初心者の「初心」なんですね。

能という芸について述べられていることだけど 一般の人にとっては 趣味や仕事(家事も含めて) そして 人生にも通じる考えなのではないかしら。

特に③は わたしにとって 重要な「初心」かもしれません。なんたって 高齢者。なんたって 未熟者。

これから経験していく老年の世界もまた 初心者として歩まなければなりません。

初めてのことづくし。それに 既知のことすら 忘れがち。

たとえば デジタル社会では スマホやAIなど あらたに取り組まなければならないことも たくさんありますよ。学ばないと 時代に置いてかれる。ちなみに 「おいてかれる」を変換したら 「老いて枯れる」と出ちゃった。

たとえ時代遅れだって それほどには困らないにしても 新しいことにも少しはチャレンジしないと それこそ 老いて枯れる!!

自分の未熟やつたなさを認識しつつ 大なり小なり 学び続ける(=脳やカラダを使い続ける)ことが大事なのでしょうね。

まだまだ 初心者として学ぶことがあるということ。学ぼうという気もちになるということ。それもまた 生きる喜びにつながるような気がします。



老いてのちも 世阿弥のいう「初心」を忘れまい。

もう69歳 まだ69歳 いくつになっても 初心を大事に。

わたしにだって まだまだ 伸びしろ あるかもよ。

やがて 未完成のまま 人間を終わるとしても 昨日の自分よりは きょうの自分。生きていられる限り 日々 成長していけたらいいな。

日常のささやかなことにおいても

自分を磨くような気もちで向き合っていけたらと想います。

   

No.184

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