お初にお目にかかります。

9/14/23

雑感 暮らしのひとこま

 

「お初にお目にかかります」って 特別な人に会ったような雰囲気ですが そうではないの。

お目にかかったのは 猫。少し前の記事 👉「独居老女の胸の内」に登場しています。数日 行方不明になっていたのが 戻ってきた話。我が町内に暮らしている猫です。

今朝 ゴミ出しに行く時 スズキさん(猫をかわいがっている奥さん)宅の横を通ったら 彼女とばったり会いました。さっそく きいてみる。「猫ちゃん 元気?」と。

そうしたら 「元気にしてますよ~。あっ ほら この通り」という足元に その猫がいるではないか。

あらまぁ。お初にお目にかかりますって感じ。茶色の虎模様。比較的 若いネコ。

わたしを じっと見つめてから コンクリートの上に ゴロンと仰向けになりました。初めての人間を見ても 警戒しない。もっとも なじんでいるスズキさんが そばにいるからかな。

猫は 餌をあげている三軒の家を 行ったり来たりしているそうです。すでに去勢が施されているらしく 飼い猫だったのではないかとのこと。家のなかには どうしてもあがらないらしい。

「寒くなる前に あったかい寝床をこしらえてあげなきゃ」と 彼女。五月頃から接していることもあって 愛着を感じているのでしょう。

「名前 つけたの?」ときくと 「あ~ わたしは とりあえず ニャーちゃんと呼んでます」と。

三軒の家でかわいがっているから 名前も 相談の上 決めるのか。その辺のことはわからないけど わたしも いちおう「ニャーちゃん」と呼ぶことにしようか。

彼女の足元に寝ころがったりしていたニャーちゃんは むくっと起き上がると どこかへ歩き出しました。夏目漱石の小説:冒頭の一文にある「吾輩は猫である。名前はまだない」とばかり なんだか 堂々としています。

ニャーちゃんが 自分を取り巻く人間たちを どのように観察しているか。その点はわかるはずがないけど 自分の命を心配してもらえる場を得て 安堵しているようにも見えました。

どういういきさつで 飼い主から離れてしまったのかは わからない。彼の記憶に その暮らしが残っているかどうかも不明だけど 迷い道で 出会ったひとに助けられ 安住の地に導かれたとしたら それはそれで 幸いなことかもしれません。

新しい土地の新しい記憶が上書きされて 幸せな日々を過ごせますように。なぁんて ちょっぴり想ったのですよ。 

スズキさんとの立ち話が終わる頃には 猫は 飄々とした姿で 道を渡っておりました。二軒目の家に向かうのか それとも どこか 別のとこ?どうぞ 自由に お行きなさいな。

もしかして いつか 我が家に顔を出す時も あるのかしら?猫フォトなんて 撮らせてくれるかしら?

そんなことを想像すると なんとなく にやけてくる。子どもの頃は 家で猫を飼っていたからね。その記憶がよみがえってきて なつかしいです。

それにしても わたしって のんきなことを書いているなぁ。だって 地域にいる猫のこと。

まぁ いいか。のんきにしていて のんきなことを綴ってみるのも いいもんだ。

いつ何時 のんきではいられないことだって 起こるかもしれないのだから のんきでいられるときは つくづく のんきにしていたい。常々 そのように想っているのです。




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                    おり~ぶ

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