悲しい・寂しいと嘆きつつ 自分で自分を楽しませている 友のこと。

12/05/23

ウイズ エイジング ご縁

 

庭の草花も 冬枯れてきました。シュウカイドウの葉。ここまで色づいたら あとは茶色になって はらはらと散り落ちます。

冬至までは どんどん日が詰まる。一年のうちで この時季が いちばんもの寂しい気もちになるんです。ひとりびとで ひとり暮らしだから?そうとは限らないだろうけど これまでにも増して わびしく感じられる。加齢によるものでしょうかしら。


さて 友人のよし子さん。出会ってから 約30年。職場の先輩後輩としてのスタートでしたが 今は互いに「歳の離れたお友達」と認め合っている間柄。

7月の記事に登場しています。👉会うたびに老いの深まりを感じるけれど

彼女は 先日 86歳になりました。お誕生日の㊗メッセージを送ったら いつになく なかなか既読にならなかったので心配になり 夕暮れるころ 電話をかけました。おひとり暮らしだから 気になったの。どうかしたのかな?

数回の呼び出し音に やっと出た。とりあえず ほっ。LINEの通知には気づかなったとのこと。

お祝いの言葉を伝えたら 「まぁ 覚えていてくれて ありがとう」と 昔とちっとも変わらないような 若々しい声。

「お変わりありませんか?」の問いかけに 「それほど変わりはないわね」と言いつつも 次の言葉は こうでした。

長生きするのって 悲しいわね。寂しいわね。

ずっと独身を通したよし子さん。ポジティブ思考&楽天家の彼女から「悲しい」とか「寂しい」とか めったに聞いたことがなかったような。

数年前の腰椎骨折のため 杖の必要になった暮らしを余儀なくされても 「ステキなよし子は 夢となり ステッキのよし子とあいなりて ステーキ食べて元気を出します」なんて言いながら 持ち前の明るさで乗り切った。

といっても 杖を手放せたわけではない。痛み止めを服用しながら 家の中でも杖を使っている。介護申請はしたものの 要支援。週一度のリハビリサービスだけを 利用中。

長生きするのが悲しいわけは 友達が亡くなっていったから。二年間に3人とお別れしたという。誘い合う仲間が 次々と去っていく。

よし子さんとて はつらつと行動的だった60代・70代を経て 今は 杖を支えにする暮らし。不自由な身体と どうつきあうか。そのことに苦心する日々なのです。

できていたことができなくなる辛さ。身体の衰えを感じると 死を連想し 不安になる。その喪失感や恐怖感は どれほどか。

たったひとり部屋にいて 誰ともしゃべらず。そんな時間が 以前よりずっとずっと長くなっているのです。人とのふれあいを求めながら ひとりぼっちの時間は 重々しく過ぎていく。どんなにか 心細いことでしょう。

「この年齢にならなければわからなかったことが たくさんあるわね」と 彼女。長年の独居生活には慣れっこでも 老いの孤独は こんなにも悲しくて 寂しいものかと思い知ったという。

それにしても よし子さん。お誕生日だからと 美容室で髪を整えたんだって。「おめでたい日だから きれいにしてこよう」と思ったそうです。

とっても彼女らしい。悲しい・寂しいは ひとまず横においといて 気分転換を図ったのでしょう。自分で自分を楽しませる術をもっている人。わたしには そう思えてなりません。

高齢+腰の不具合で 思うようには動けないことの多くなった状態だからこそ 身ぎれいな姿でいたいと願い アクションを起こしたんです。幸いなことに 美容室は行きつけで 予約したら迎えにきてくれるという。

こころの折れそうな境地にいても 自分で自分を楽しませる。そんなところを とってもとっても見習いたい。

わたしだって もっと歳を重ねたら 孤独感が深まっていくでしょうね。秋の夕暮れに わびしいなんて思う以上の とてつもないわびしさがやってくるに違いない。彼女のように 悲しい・寂しいと 心底思うような日々を どうやって過ごしていくのか。

自分を楽しませるのは 他の誰でもない 自分自身。ご機嫌よろしく過ごすためには まず自分で自分をいたわったり ねぎらったり たのしませたり よろこばせたり。

そんなことを 今のうちからこころがけていければ 

ひとりぼっちで 老いていくのも こわくない・・・かな。

No.133

今朝は あまりに寒い。
ひとり用炬燵に 足突っ込んで書きました。

あったかくして お過ごしくださいね🍀
 

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