「キッタナイ バアサン」と思われたくない・・・。

1/09/24

ウイズ エイジング 暮らしのひとこま

ガーベラ 花言葉は 希望

今年初の美容室へ。

わたしの髪は ショート。3~4週ごとに 通っています。

6月にも 髪にまつわる記事を書きました。白髪染めのカラーについての話題です。後ろ姿の髪フォトあり。未読だったら ぜひ お読みくださいませ。

👉髪の色

ところで

去年の夏ごろから シャンプー カット 白髪染めのほかに フェイシャルエステをお願いしています。

長年おつきあいしている 美容室のマスターご夫婦。奥さんのミカさんは エスティシャンでもあるの。

エステのコースは いくつかあって わたしは 30分3000円の 顔だけエステ。

以前は 気が向いたときだけ オーダーしていましたが 今は 月一回のペースです。

フェイシャルエステ。何をいまさら もう遅いって感じですが…。

加齢による肌の劣化は著しく しわやシミは 増え続けている。頬はたるみ ほうれい線はくっきりとしてきて 若い時に比べたら 見苦しいったら ありゃしない。

でも 若かった自分と比べるから そうなのであって 老化という自然の摂理だと受け入れればいいだけのこと。味わい深い表情になってきたじゃないの。

順調に老いてきているのだと 達観したいのはやまやまだけど なかなかそんな境地に潜れないのが 女ごころというものか。

できてしまったしわやシミなどは仕方がないと思いつつ まるっきりお手入れしないような かさついた肌のまま放置したくはない。せめて ちょっとでも潤いのある肌でいたいのよ。

ミカさんに 「月一回でも 効果があるかしら」ときいたら

「やらないよりは いいんじゃないでしょうか」だって。

たしかに 月いちのフェイシャルエステで 効果が長続きするかというと 疑問符よ。セルフのお手入れも大事でしょうから。

とはいえ クレンジングしてもらい あったかいスチームをかけて マッサージ。タポンタポンと毛穴の吸引もあって そのあとは パック。

やさしい香りのただよう個室で ミカさんのやわらかい手指が  わたしの肌に触れている。ゆっくりと なめらかに。

肌と肌とのふれあいだから 幸せホルモンのオキシトシンが 出まくっていたことでしょう。そういったひとときを過ごせるだけでも まずは こころが癒される。気休めみたいな月いちエステでも わたしにとっては 極楽気分。


さて ミカさんが こんな話をしてくれました。

月に一度は 必ず来室する 80代後半のお客がいて フェイシャルエステも受けていく。その人 ☆さんが 「キッタナイ バアサンじゃ 触ってもらえないでしょ。いつでも キレイにしておかないとね」と言ったそうな。

「触ってもらえないって どういうこと?」ときいた わたし。誰に触ってもらえないの?あるいは 誰に触ってほしいの?と想ったのです。

ミカさんからの説明は こんなこと。

☆さんは いくつかの病院に通院しているらしい。医師の診察はもちろんのこと 血液検査などで 医療者に触れられることが多くある。腕にさわったりされるでしょ。

「キッタナイ バアサンと思われたくない」と意識するのは そんな時。

「やっぱり キレイナバアサンのほうがいいんじゃないのぉ」とも言ったそうな。

医療者が 患者さんのことを キレイとかキタナイとか そういった評価をするかどうかについては言及しないけれど 少なくとも ☆さんは 「キレイナバアサン」として 病身をゆだねたいということでしょうか。

その場合の 「キレイ」は 顔や身体の造作云々ということではなく お手入れされたみずみずしい肌と 年齢相応ではあっても どことなく若々しい雰囲気をいうのかな。

医療者の前でも 「キレイナバアサン」としてふるまいたいと思う☆さんの気もちが想像できて 妙に納得してしまった。

わたしだって 通院の時 新しいインナーを身に着けていったりする。服を脱がないにしても なんとなくそうしているし もし 万が一 救急車で運ばれるようなことがあったら 見られちゃうなという思いもあって ヨレヨレしたインナーは着ないようにしている。それだって「キッタナイバアサン」と思われたくないからかも。

病人になったら なりふりかまってなんかいられないけど 自分で通院できる状態のときぐらい それなりに つやつやとして 「キレイナバアサン」で 診察を受ける。まぁ なかなか難しいことではあるでしょうが その意気込みは 参考にしようかな。

病院に行く時だけじゃなく ふだんから 心がけよう。


カラダにも肌にも 様々なエイジングサインはあるけれど できる範囲でお手入れをして いつも こざっぱりとしていたい。

清潔な衣服を身に着け 背筋を伸ばして歩きたい。そうして 穏やかな気もちと謙虚なこころで 生きる。それが わたしの理想とするところ。

「キッタナイ バアサン」よりは 

「どことなくキレイナバアサン」でありたい…かな。

   

No.153

明後日は 鏡開き。

お供えの餅を割るのに なぜ「開く」なのか。

末広がりの意味らしい。

あなたのこころも わたしのこころも 末広がり

どうぞ お健やかにお過ごしくださいね。


     
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